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刊行記念ブックトークツアーの第5回は、2025年5月25日(日)、下北沢の本屋B&Bで行われました。お相手は文筆家の小沼理さんです。二人の出会いやそれぞれが見てきた新宿二丁目のこと、アクティビズムと自分を大切にすることについて……世代の異なる2人によるトークです。
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アキラ:『売男日記』を書きました、美術家のアキラ・ザ・ハスラーと申します。よろしくお願いします。 1990年代のはじめの頃に京都の大学で美術の勉強をしていて、当時アルバイトをしていたギャラリーの隣にダムタイプというパフォーマンスグループの事務所がありました。そこの人たちに可愛がられていて、お隣さんということもあって行ったり来たりしていたんです。 ダムタイプのメンバーに古橋悌二さんっていうアーティストがいて、すごく憧れていました。自分がまだゲイかどうかも、どういうラベルを身につけて生きていく人間なのかもわからない時期に出会った、すごく格好いいゲイであり、ドラァグクイーンであり、アーティストだったのが古橋さんです。 その古橋さんが1992年に、自分はゲイで、HIVに感染していると公表する手紙を周りの人たちに出しました。アルバイトをしていたギャラリーにもその手紙が届いて、ギャラリーの人が本人に了承を得た上で、僕にも読ませてくれて。そこには、「これから自分はHIVや、セクシュアリティやジェンダー、世の中とお金といった問題をテーマに作品を作っていきたい。みんなと一緒にやれたらと考えている」、「アートだけでは社会の問題に立ち向かっていくことはできない気がするから、社会運動的にも関わっていきたいと思っている。それもみんなとできたらすごくいいんだけど」ということが書かれていました。 全体的なトーンとして、これからの世の中でアートが果たして有効なツールとなり得るのか? という問いかけがなされていると感じました。 そのあと、僕は社会運動に足を踏み入れて、アートからは少し距離ができます。そのきっかけになった一つが古橋さんの手紙でした。そしてアートから離れていた時期に自分はセックスワーカーといて働いていて、その頃に書いていたものがもとになったのが『売男日記』です。
小沼:文筆家の小沼理です。ゲイとしての自分の経験をテーマに、日記とか、エッセイの本を書いています。 『売男日記』とのつながりでいうと、この本が2024年12月にリニューアル復刊して、ブックトークツアーとしてアキラさんが色々な方と対談しているんですね。第1回がワタリウム美術館の和多利浩一さん。『売男日記』の初版を作った方です。第2回がジャーナリストの北丸雄二さん、第3回が写真家の竹之内祐幸さん。第4回がポポタムというブックショップ兼ギャラリーの大林えり子さんとのトークでした。 すべての回をアーカイブとして記事化していて、そのテキストの制作を僕が担当しています。なのでこれまでのトークの内容はだいたい把握していて、今日もアーカイブに目を通してきました。 みなさん、自己紹介ではアキラさんとの出会いから話していることが多いんですけど、僕がアキラさんとお話しするようになったのはごく最近なんです。ただ面識はなかったけど、アキラ・ザ・ハスラーという名前は一方的に知っていました。大学生の時にTwitterが広まって、はじめてフォローしたゲイのアーティストでありアクティビストがアキラさんだったと思います。

小沼:新宿二丁目にはコミュニティセンターaktaという、行政と連携しながらHIVをはじめとする性病の啓発をしているセンターがあります。2003年に設置されたのかな。自分が二丁目に行くようになったのは2010年代のはじめごろだから、当時すでにaktaはあったんだけど、なんとなくその存在を不思議に感じていました。新宿二丁目って、当時でもまだ「夜の街」というか、社会の外側に置かれている気がしていたので、その街の中心に性病の啓発をするような場所があるのが意外だったんです。 aktaは二丁目のゲイバーに無料のコンドームを配布するプロジェクトも行っています。当時を思い返すと、ゲイバーに行って置いてあるコンドームを手に取る中で、自分たちがただ社会の外側に置かれているわけではないということを、無意識のうちに感じ取っていた気がします。 このaktaを立ち上げたのが、実はアキラさんなんです。自分が二丁目でよく遊んでいた頃はそんなこと知らなかったし、その頃にはアキラさんはもうaktaをやめていたんですけど。当時は出会っていなかったけど、知らないうちに色々と影響を受けていたんだな、そうやって誰かがかたちづくってきた街で遊んでたんだな、と思います。
アキラ:面白い。今その話を聞いて思ったのが、僕は境界線というか、内側と外側を分けるものにすごく興味があるんですよね。 『売男日記』は2018年に韓国語版を出版しました。サニーブックスという、もう亡くなられたイ・ドジンさんと、ウォン・デハンさんの2人が立ち上げたレーベルの本でした。 ドジンさんが生前、自分の作った本について講演をしたことがありました。そこでドジンさんは「自分がいいと思う作品は、何かと何かの境界線に立つもの。境界線を強化するのでも、壊すのでもなく、押して広げたりとか、境界線の役割を少し変えたりするもの」という話をしていたそうです。 aktaを作ったときも、「境界線」をすごく意識していた気がします。新宿二丁目にはカミングアウトしていない人とか色々な人が来るから、守るべきことは守らなきゃいけない。でも、aktaを外側の外圧から内側の人たちを守るための完全なシェルターにしたいわけではなかった。そもそもそんなシェルターは作り得ないと思っていたしね。だから、窓がいっぱいついている壁を作るっていうか……境界線の間に立てる壁とか幕、その線はどうあるべきなんだろうってすごく考えていた気がします。完全に分けちゃいけないとは思ってた。
小沼:僕はaktaができる前の二丁目を知らないけど、aktaがあることで、その境界線がいい意味で曲がった線になっていたんじゃないかと思います。自分がはじめて行った頃は、アメリカ全州で同性婚が可決されていなかったし、渋谷区での日本初のパートナーシップ制度もまだ。だから街に来る人たちにも、日陰者っぽい感覚を持っていた人が、今よりもっと多かったんじゃないかな。
アキラ:2010年でもそういう感覚なんだ。